記事番号:T00000110
● 経営に尽力を尽くすタイプの場合(つづき)
(あらすじ)
電子部品の製造販売会社D社の台湾法人総経理を勤める宮川氏は、ITバブルが弾けると時を同じくして台湾へ赴任してきた。
赴任当初から業績悪化や中心社員の離職等で苦労する羽目になっていた…
自己主張が少なく努力型の宮川氏は前任者の罠にかかった状態でしたが、社員を育てながら業績が上がる仕組みづくりに努力する事にしたのでした。
例えば、顧客のニーズをいち早く掴み本社へフィードバックする仕組みや、顧客との関係を強化する事により、情報をいち早く把握し、短納期に対応できる仕組みも作り上げた。
また、本社にはメインマーケットである台湾市場の状況を粘り強く説得し、競争力の有る仕入価格を獲得した。
宮川氏の奮闘は続いたが、業績は一向に上向く気配は無かった…
宮川氏が台湾に赴任して満2年が経とうとしていた頃、本社から宮川氏急に帰国命令が出された。
ここ数ヶ月は2年間の努力の成果が実り、少しずつ成果が出始めてきている頃であり、これからという時であったので、憤りを覚えたが、本社命令には逆らえない。
社員や取引先は宮川氏の情熱と努力を知っていたので、皆惜しんでいたのだが、ついに宮川氏は帰任の日を迎える事になった。
後で聞いた話ではあるが、この時大きな成果の上がらない宮川氏は左遷となったそうである。
宮川氏の後任者は、腰が低いが大人しく、いかにも気の弱そうな山下氏が赴任してきた。
山下氏はやり手には思えなかったが、まじめなタイプであった。
山下氏が赴任して3ヶ月も経つと、D社台湾法人の業績は急激に伸びはじめ、赴任1年目の決算は過去最高となった。
山下氏は自分では特に経営努力をしていなかったが、業績が自然と伸びるので、自分の実力と勘違いし、従業員に対する態度も段々と横柄になってきた。
従業員達は今の業績があるのは宮川氏が赴任している頃の努力の賜物であることは知っていたが、山下氏にそれを告げる者は当然ながらいなかった。
日に日に横柄になってくる山下氏に愛想をつかし、宮川氏がせっかく育て上げた社員達もD社を離れて行った。
現在D社は過去の業績を継続しており、山下氏は大抜擢の出世をし、毎晩スナックで「俺を誰だと思ってるんだ~ 金はあるぞ」が口癖になっている…
<解説>
経営努力の成果は2~3年後に現れる事が多いのですが、本ケースの様に、その頃は、本人は帰任になっていて後任者の手柄となるケースを度々お見受けします。
本社側も誰の成果かを明確に把握できていない事が多いので、自分の身は自分で守る体制づくりが必用です。
ワイズコンサルティング 吉本康志