コラム 経営 マーケティング 台湾事情 作成日:2011年11月4日
台湾流経営策略記事番号:T00033543
世界最大のブランド・コンサルティング会社、インターブランドが先月発表したブランド価値に基づく「グローバル・ブランドランキング2011」で、スマートフォン製造メーカー、宏達国際電子の「HTC」が98位となりました。ブランド価値は前年の13億7,100万米ドルから36億500万米ドルと2.6倍に膨らみ、台湾ブランドとして初めて、中華圏ブランドとしても唯一100位以内にランクインしたのです。
100以内に入ったアジアのブランドは10で、HTC以外は韓国が「Samsung(17位)」「HYUNDAI(61位)」の2つ、日本が「TOYOTA(11位)」「HONDA(19位)」「Canon(33位)」「Sony(35位)」「Nintendo(48位)」「Panasonic(69位)」「Nissan(90位)」の7つでした。HTCは創業わずか14年でこうした大ブランドに近い位置まで来たわけで、立派と言えるでしょう。同社を率いる王雪紅董事長と夫の陳文琦総経理の資産総額は68億米ドルとなり、今年米経済誌「フォーブス」の長者番付で、郭台銘・鴻海科技集団(フォックスコン)董事長を初めて上回って台湾一の資産家となりました。
父は王永慶氏
王雪紅氏は、台塑集団(台湾プラスチックグループ)創業者で「経営の神様」の異名を持つ故・王永慶氏の娘で、父の計らいで米国の高校に進学しました。そして、小さいころからピアノに親しみ、音楽家になりたいと思っていたため、全米一二を争う名門であるカリフォリニア大学バークレー校音楽学部作曲科に入学しますが、わずか3週間で音楽の才能には恵まれていないことを悟ります。「わたしが長々と考えて音符一つを書くのに、同級生たちはすらすら楽曲を組み立てていくのを見て本当に困惑した」と王雪紅氏は当時の状況を振り返っています。経済学部への転部を決め、1981年に同大を修士で卒業しました。
87年、シリコンバレーであるチップ製造メーカーと接触したことがきっかけで、起業への関心が芽生えます。父からは一銭ももらわず、母がくれた家を担保に500万台湾元を借りて後に威盛電子(VIAテクノロジーズ)となるチップセット会社を設立、92年に台湾に戻って資本金500万元でVIAを正式に立ち上げました。
VIAを起業
創業当初のVIAは、台プラ系の大衆電脳(FIC)との取引に売り上げの大部分を頼っていました。技術革新を経て世界市場に進出しようとしていた95年、米半導体最大手のインテルがチップセットシステム市場への進出を宣言。これによって、同市場では既存の設計・生産メーカーの撤退が相次ぎました。一方VIAはこれに対抗し、コンパックと共同でインテルとは異なる規格のチップセットの研究に取り組み、9カ月間で新製品の開発を終え、コンパックからの受注を得ます。
VIAは競争力を高めるため、さらに高性能のチップセットを開発し、比較的低価格で市場に出す戦略を取りました。アドバンスト・マイクロ・デバイセズ(AMD)とも共同で規格を制定、新製品開発に取り組みました。98年、インテルがPentium Ⅱの生産とSocket 7規格製品からの撤退を表明したことで、低価格パソコン市場に進出できる余地が生まれ、VIAとAMDは開拓に注力しました。
インテルとの訴訟戦を乗り切る
VIAは99年3月、1株120元で台湾株式市場への上場を果たし、翌年8月には当時の市場で最高額の628元を付けます。これに前後して非インテル陣営の企業と積極的に提携を結んだり、米企業の買収を通じてパソコンの中央処理装置(CPU)への進出を計画したためインテルの怒りを買い、世界規模で特許訴訟の攻勢をかけられました。王雪紅氏は受けて立ち、世界各地で100回以上の公聴会に出席して争います。チップセット市場で一時はシェアが40%から30%に落ちましたが、インテルに対抗できる数件の特許を持っていたため、特許の相互利用契約を結ぶことで和解に持ち込むことができました。
王雪紅氏は大企業家の家に生まれながら常に質素な服装で、ブランド品は追いません。パートナーとの奮闘によって、台湾ハイテク史に新たなページを開いてきた彼女のもう一つの「伝説」であるHTCに関しては、次回改めてお伝えします。
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