記事番号:T00043056
第85回アカデミー賞で台湾出身のアン・リー(李安)監督の映画『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』が監督賞をはじめ4部門を制したのは記憶に新しいことでしょう。アン・リーにとっては、06年の『ブロークバック・マウンテン』に続く2回目の監督賞受賞です。
「西洋映画から恋愛もの、中国大河アクションまで不可能はない。」こんな賛美の声ばかりが聞こえてくるアン・リーですが、大成功に至るまでに実は何度も挫折し、普通の人なら耐え難いどん底も経験しています。
妻に養われた6年間
アン・リーは国立台湾芸術専科学校(現・国立台湾芸術大学)を卒業後、海外で見聞を広げようとニューヨーク大学で学び、優秀な成績で卒業しました。その後、自分の力を試してみようと米国に残りましたが、実績も人脈もない中華圏の人間に一体何ができたのでしょう。6年もの間、生物学博士の妻、林恵嘉さんの稼ぎに頼って暮らしていました。
毎日家で本を読んだり映画を見たり、映画の脚本を書いたりしていたほか、食事の用意から子どもの送り迎えまであらゆる家事をこなしていました。それでも家にいるだけでは申し訳ないと、パソコンを覚えて仕事を探そうとしたところを妻に見つかり、「PCができる人なんていくらでもいるけれど、アン・リーは1人しかいないのよ」と叱責されます。映画という夢を忘れないよう諭してくれたのです。
そんな中、アン・リーが映画の道に進む契機となる出来事が起こります。自伝『十年一覚電影夢』を引用して紹介しましょう。
「『推手(プッシング・ハンズ、91年)』の撮影前はどん底だった。通帳には43米ドルしか残っていないのに赤ちゃんが生まれたんだ。その数カ月後、私の2作品が台湾の新聞局の脚本賞に選ばれた。1位が『推手』、2位が『喜宴(ウェディング・バンケット、93年)』。40万台湾元と20万元、合計60万元の賞金が入ってきたんだ。」
自己表現とファンとスポンサー
こうした人生の冬を経験したアン・リーは、もっと映画の宣伝活動を行う方がいいのか悩んだことがあります。「宣伝は『投資』で、そこから『利息』が得られる」というある人の言葉をヒントに、観客と直接触れ合い、作品への思いを伝える手法が自分に合っていると考えました。
こうして世界をめぐり作品をよく理解してもらうことで、忠実なファンを増やしました。ファンとの絆はお金のためとは考えていませんが、資金を出してくれるスポンサーに対する責任も無視できません。どうしたら作品で自己を表現しつつ、多くの人に興味を持ってもらえるのか、いつも念頭に置いています。
一石百鳥の台湾撮影
さて、撮影に4年をかけ、初めて3D(3次元)撮影にも挑戦した『ライフ・オブ・パイ』は、故郷の台湾が撮影地です。よく知っている土地で、四方を海に囲まれ、気候も作品に近いという理由だけで選んだのではありません。美術や技術面など映画関係者の協力が得られ、「台湾は私のために何だって思っている以上にやってくれる」と話しています。
このほか、台湾への恩返しの気持ちもあったようです。アン・リーは台湾撮影を実現するために、まずロサンゼルスまで赴き映画会社「20世紀フォックス」を説得。100人以上の製作チームを引き連れて台湾入りし、滞在中はセット製作、撮影だけでなく、製作チームの宿泊、食事の世話まで何でもやりました。こうした苦労によって、台湾に観光商機をもたらしただけでなく、映画従事者に製作チームの技術が学べる機会を与えました。さらに国際舞台で台湾の映画の実力を証明し、台湾の存在を世界に知らしめました。
アン・リーは有名になっても謙虚で、初心を忘れません。今後もずっと素晴らしい作品を観せ続けてくれることでしょう。
荘建中
台湾のコンサルティングファーム初のISO27001(情報セキュリティ管理の国際資格)を取得しております。情報を扱うサービスだからこそ、お客様の大切な情報を高い情報管理手法に則りお預かりいたします。
ワイズコンサルティンググループ
威志企管顧問股份有限公司
Y's consulting.co.,ltd
中華民国台北市中正区襄陽路9号8F
TEL:+886-2-2381-9711
FAX:+886-2-2381-9722