記事番号:T00086899
金可国際集団は、眼鏡、サングラス、コンタクトレンズから、目薬、眼鏡ケースまで幅広く製造しています。傘下の眼鏡販売店最大手「宝島眼鏡(フォルモサ・オプティカル)」は400店以上、「小林眼鏡」は200店以上の店舗を展開。中国のコンタクトレンズブランド首位「海昌(Hydron、ハイドロン)」も傘下に擁します。
宝島眼鏡は、海昌のコンタクトレンズも取り扱っています(YSN)
リビングを工場に
金可集団の蔡国洲董事長は、大学卒業後、初めの仕事がうまくいかず、妻の親戚が経営していたレコード店を引き継ぎました。当時は海賊版が出回っていたため赤字に見舞われ、半年で店を畳みました。やむなく同級生の兄が経営する眼鏡工場に就職しました。
1985年、蔡氏の妻が跟会(民間の金融互助組織)で集めた50万台湾元(約180万円)で設立したのが「金可眼鏡」です。材料と設備を何とか購入し、10坪のリビングを工場にして、弟2人と共に事業を始めました。
給与2倍で出荷遅延回避
80年代は台湾全土でロトくじ(数字選択式宝くじ)「大家楽」が大流行していました。従業員が「大家楽」に明け暮れ、多くの眼鏡フレーム工場で出荷が遅れていました。
金可は、ロトくじの抽選日に当たる毎週火曜日と木曜日に出勤した従業員に、給与を2倍支払いました。そのため、生産ラインが正常に稼働し、納期に出荷できました。
他社の出荷が遅延する中、金可の受注は増加し、売上高は数倍に成長しました。89年には90坪の工場を購入し、従業員が60人に増えました。
海昌ブランドを取得
台湾の事業が安定したため、93年、蔡氏は中国の江蘇省で江蘇東方光学を設立し、眼鏡の開発、設計、製造、包装まで自動化しました。
95年、コンタクトレンズ大手、米ハイドロンの中国市場撤退に伴い、中国での「海昌」の商標権と技術を500万米ドルで取得しました。
米国本社にいとこらを派遣しましたが、技術書2冊を渡されただけで、1カ月たっても技術移転は進みませんでした。そこで蔡氏は、技術書や生産機器をできる限り台湾に持ち帰らせ、自ら研究しました。
シェア5%から中国首位に
99年、中国市場に海昌を再参入させました。ところが、ボシュロムとジョンソン・エンド・ジョンソンがシェア70%を占め、海昌はわずか5%。ブランドイメージもあまり良くありませんでした。
蔡氏の人脈を使っても、小都市でしか販売できず、消費者の反応もいまいちでした。
蔡氏は、自分に合うコンタクトレンズが分からず、店員が勧めるままに購入している消費者が多いことに気付きました。そこで、流通業者と契約を結び、売れた分だけ仕入れてもらう「賒銷制度(消化仕入れ)」で、海昌を多くの消費者に薦めてもらうようにしました。
2002年には、人気芸能人のS.H.E、蔡依林(ジョリン・ツァイ)、羅志祥(ショウ・ルオ)などをイメージキャラクターに起用し、若者を取り込みました。
08年、海昌はボシュロムとジョンソン・エンド・ジョンソンを抜いて、中国市場シェア35%で首位に浮上しました。
宝島眼鏡を買収
眼鏡販売店の宝島眼鏡は当初、金可が商品を納入する先、つまり顧客だったため、蔡氏は、宝島眼鏡と競合しないよう、販売店を持ちませんでした。
01年、宝島眼鏡が経営危機に陥り、大株主に支援を求められました。支援には2億1,000万元必要でしたが、当時の金可の売上高は2億元足らずで、失敗した場合はこれまでの苦労が水の泡になります。蔡氏の家族は反対しました。
蔡氏は家族に対し「宝島眼鏡との取引で2億元は稼いだのだから、失敗に終わっても、宝島眼鏡にお返ししたと思えばいい」と言い、宝島眼鏡を買収しました。
蔡氏は買収後「解雇しない、給与支給日を守る」と約束しました。1カ月をかけて、宝島眼鏡の全店のマネジャーを訪ね、従業員の声を聞きました。4年の企業体質の改善を経て、宝島眼鏡は売上高が10%増、利益は20%増と、成長軌道を取り戻しました。
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